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2018年8月2日木曜日

偏見


偏見のメカニズム                 
 
   

 
  “よく話せば互いに分かり合える”という楽観的な人生観もありうるが、私の経験ではそうは思えないこともしばしばでした。むかし日本の陸軍華やかなりしころに起きた反乱を扱った映画のある場面で、次のようなやり取りを妙に鮮明に覚えています。

    話せばわかる
    問答無用

自分はそうではないと誰しも思うのですが、人は偏見の塊です。偏見の形成を、私は次のように理由付けてみました。

人は同じ出来事を前にしても、それを自分の見たいことに沿ってみてしまう。みたいことに沿うとは、自分の慣れ親しんだものの見方・考え方に沿って出来事を解釈することです。これが偏見が出来上がる原因です。説明してみましょう。
たとえば、ある100人の集団があるとします。それは多数派のAグループ90人と少数派のBグループ10人より成っています。多数派のAはBグループに対しある偏見をもっており、Bは油断のできない輩で、その50%が盗みもやりかねない連中であると思っています。そして、自分たちについては大体正直者の集まりで、その3%程度が若干問題があると主張します。一方、少数派のBも、Aに対しこれまでの経験を誇張した独特の意見をもっています。少数派Bの見方に従えば、Aは大変嵩にかかったいやな連中で、その30%くらいはずるいやつである。そして自分たちについては、中にはいけない者も1割程度いるが、大体努力家であると信じています。

さて、この100人が連れ立って旅行に行くことになったとします。そして旅先で誰かが不用意に、“あれ、俺の財布が!”といったとしましょう。本当は自分が忘れたのかもしれない。あるいは、探せばあるのかもしれない。しかしながら、それを聞いたとたんに、Aグループは、“だから来るんじゃなかった。どうせBの仕業だ”と思います。同様に、Bグループはこれとはまったく反対の結論、すなわち、Aグループの犯行を確信します。その結果、今まで自分たちが心に描いていた‘相手に対する不信感’を互いに強めるのです。各々のグループがそのような確信にいたる道筋を説明してみましょう。

A,Bのそれぞれの言い分
もし泥棒がいたとすると、それは悪い連中に属するはずです。Aグループの見解では、悪い連中の数は、Bに属する10人の内の50%である5人と、自分たちのAに属する90人の内の3%である2.7人です。すなわち、合計7.7人です。したがって、犯人がBグループである割合は、5/7.7となります。これは相当高い率であり、日頃Bを疑っている率(先験確率)の50%より更に高い値です。そこで、この事件を契機に、Aグループは今まで懐いたBへの不信の念をさらに強めるのです。
一方、Bグループの見解によれば、悪い連中の数は、Aに属する90人の30%である27人と、自分たちのBに属する10人の10%である1人です。すなわち、合計28人です。したがって、このような見解を持つBグループからみると、犯人がAグループの者である割合は、なんと27/28となります。この値はほとんど確信に近いもので、BグループのAに対する日頃の不信感を決定付けます。
同じ出来事の解釈が、このように違うのです。
  





  

このように、双方のグループとも同一の出来事を自分のみたい方向に沿って解釈し、今までの見方を更に強めるのです。すなわち、互いに自分たちの偏見を強固にするのです。さて、偏らぬとは、難しいことですねー。


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