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2018年6月27日水曜日

美が紡ぎだす美 シリーズ(2)


理が紡ぎだす美 シリーズ(2

 図1は、マンデルブロー集合と呼ばれる図です。1つの係数が関連しますが、その値で図から感じるものが大きく変化します。

1を生み出すメカニズムは、次のようなものです。
1)ある点cを選ぶ
2)cを初期値として定められた式に従いcの変化を計算する
3)そのcの結果に対して同じ式に従って変化を計算する
4)これを指定数回繰り返し、最後の値が発散しなければcの最初の値(初期値)をプロットする


図1 マンデルブロー

図2 秋の葉


 図2は、葉が次々と分岐していく有様を再帰という構造を用いて表現したものです。
秋に野辺に見る草をイメージしています。

対応レベルの類似


物事の類似性について(その3

2) 対応レベルの類似
“ユリのようなお嬢さん”というとき、これは何を意味しているのでしょうか?
もちろん、その娘さんの容姿あるいはその人がもつ清楚な雰囲気を、我々がユリの花を見るときに心に浮かび上がってくる感情に対応させて、その娘さんのありさまを説明しているのです。ここで暗黙の内に前提とされていることは、“ユリ”を見ればみんながある種の同じような事を理解するであろうということです。
‘対応レベルの類似’とは、2つの事柄の内容が喩えや比喩で結びつく場合を指します。喩えや比喩は、説明したいことの特徴を、既にみんなが知っている他のことに対応・関連させて伝える方法です。



例を挙げてみましょう。
  氷のような冷たい心
  炎のような情熱
  ブタのような食欲
  砂が水を吸うように知識を吸収する
  海のように広い心

この例のように、~のようなものと対応させる比喩の仕方を、直喩といいます。一方、次のように喩えるのを、隠喩といいます。
  人生はマラソンである
  彼は鬼だ

さて、2つの事柄AとBに何かの類似性を見つけたとしましょう。事柄Aの内容についてはよく知られているものであるとします。いま、Aに属することaとBに属することbとを対応付けたとします。bがbに変わったときどのような状況であるかを推測したいとき、我々は状況bに対応すると思われるAでの対応点aを推定します。Aでのことは良く分かるので、我々はaからaへの変化は理解できます。このAでの理解を基に、Bにおけるbからbへの変化を推察するのです。これを、類推といいます。



類推においては、知りたいbでの状況を、何らかの意味で次のようにa対応させて割り出しています。

     :b=a:b

まったく新しいことの発見のように見えても、その底には、実は古い事柄からヒントを得ている場合がほとんどだという説があります。
たとえばケプラーは、火星の観測値を説明するのに従来の方法ではどうしても無視できない違いが出て、これにより伝統的な天体の運行の考え方である‘一様な円運動’という考えを捨てました。そして、太陽を宇宙の中心に置き、その周りを惑星は楕円運動をするという考えに至ったが、その基には次のようなキリスト教の教義からの類推があったといわれています。

 太陽…父なる神(God and Father)  星…神子(Son)  空間…精霊(Holy Ghost)

ケプラーは、惑星が太陽の回りを回転するには絶えず力が加えられているはずと考えていました。そして、その力は太陽の自転により与えられ、それは磁石が針を引きずるようなものと思っていました。それを伝えるのは、空間を通しての精霊の働きによると理解していた模様です。この場合、よく分かっている事柄Aがキリスト教の教義であり、類推の対象Bが太陽系のメカニズムです。
   


2018年6月20日水曜日

理が紡ぎだす美 シリーズ


理が紡ぎだす美 シリーズ

 最近、人が見てハッとするような、つまり人の美的感情に触れるような、図をコンピューターで創り出すことを研究しています。コンピューターが行うのですから、指示の詳細はすべて数学(すなわち理)で表現されています。いずれその理屈について述べようと思いますが、まずは、いくつかの例を披露いたします。

   




     

   

人が美を感じる本質は何かと繰り返し考えますが、分かりません。偉大な何ものかの存在を感じます。

このシリーズは、随時流します。


ものごとの類似性について(その2)



物事の類似性について(その2

1) 形式レベルの類似
類似性の最初のレベルは、形、リズム、パターン等の形式が似ていることです。我々は、まだその理由は分からないけど、互いに関連のなさそうな事象間に、同じような形式に従っていると思えるものを見つけることがあります。たとえば、木の葉っぱを日に透かしてみると葉脈が葉全体にきれいに広がっているが、この様なパターンは肺の気管支の分岐を写真でとったもの、大きな河の支流を航空写真でとったもの、あるいは雷が落ちたときの稲妻の写真にも似ています。
    
 




 乾燥期の田んぼ等に生じるひび割れの文様と、陶器の上薬にあらわれるひび割れは似ており、蜂の巣やキリンの模様にも似ています。

ワラビの渦巻きと貝の渦巻きはよく似ています。
海に生じる渦と大星雲に見られる渦とは似ています。
天気図でみる雲の渦巻きと星雲の渦巻きはそっくりです。
ヘビの動きと川の流れ方(蛇行)とは似ています。
わかりやすい文章は、その構成が‘起承転結’という形式にしたがって、その意味でよく似ています。
7音階、虹の7色、7人の敵等、ラッキー7等、7という数字がよく使われます。

このように、まず形式が似ていることに気づき、それから、それがなぜ似ているかの隠された原理が見付かれば、それは重要な視点に発展する可能性があります。
植物における葉脈の広がりと動物における肺の気管支の分岐の様子がそっくりであることは、双方とも、きわめて多くの散らばった地点になるべく均等に効率よくあるものを分配せねばならないという背景から説明することができます。植物の葉の場合は、水および栄養物の分配であり、動物の肺の場合は酸素の分配です。

形式の類似から出発して大原理に達したスケールの大きいものの例として、2つ挙げておきましょう。

一つは、‘大陸移動説’です。これは、1915年にドイツの地質学者ウェーゲナー(Alfred Lothar Wegener) が、南アメリカとアフリカの海岸線が似ていることをヒントに考え付いた‘大陸は動いている’との説です。当時この説は一笑に付されオカルトであるとさえ言われました。しかしその後、地球の外殻はテクトニックプレートという溶岩の上に浮かぶ巨大な板の集まりであることが分かってきました。これにより、ウェーゲナーの直感は正しかったことが分かり、また、地震発生の科学的な説明も可能になりました。

もう一つは、‘周期率表’です。1869年、ロシアの化学者メンデレーエフは、それまでに分かっていた化学元素を重さの順に並べることにより、類似の化学的性質が周期的に現れるという重要なパターンを見抜きました。そして、このパターンより、逆にまだ見つかっていない元素の性質を予言しました。この予言は、大変正確なものでした。この周期率表により、化学が科学となっていくのです。


ものごとの類似性について


物事の類似性(等価変換理論での等価性)について

教わったことを忠実に行っていればよかった時代から様変わりして、これからは、今までとは違うものを生み出す・すなわち創造性が求められます。
ところで、創造性とは一体何でしょう。色々な表現がありえますが、結論として物事を見る自分の視点を変えることで、その変えた視点から今まで思いつかなかった新しいことを見出すことです。
さて、視点とは何でしょう。視点とは異なった事柄のなかに何らかの‘類似点’を見出す見方です。この類似点を切り出す新しい視点の展開が、今までにないものすなわち創造の可能性をもたらすものなのです。したがって、異なった事象間に潜む何らかの類似性を感じる能力は、創造性につながるものです。創造を研究する等価変換創造学会では、この類似性を等価性・等価関係と呼んでいます。
ここで、類似性そのものについて深く考えてみましょう。

2つの事象間になんとなく類似性を感じるが、一体何が似ているのか。その類似性についても、いろいろなレベルがあります。表面的な ‘浅い’類似性と奥深い所でつながっている‘深い’類似性とがあるのです。 
      
いま、2つの事象が、ある類似性を持つものとします。その類似度の深さの関係を、家系の分岐のアナロジーで示してみましょう。
ある祖先を軸に家系を展開すると、それは木の枝のように分岐した図で表されます。上から世代を経るごとに、子孫は次々と増えていくとします。一番下の世代にある任意の2つの子孫の家系上の近さは、各々家系をたどっていって、同一の分岐点に達するまでの距離とするのが合理的です。図のaとbの場合は、分岐点xで合流します。この距離の長いほど、深く隠れたつながりということになります。
                       
     

                              
 2つの事象間の類似性についても、その類似度の深さというものを、概念的に同じようにして考えることができます。すなわち、2つの事象の家系をさか上って共通の類似点に達するまでの‘深さ’を、2つの事象の類似度としましょう。すると、大まかに言えば、類似度は、類似点が直接的・具体的なものから抽象的・本質的なものへと移るに連れて、その深さ(レベル)を増していくとみることができます。

ここで類似の内容について考えてみました。これをレベルの浅い方から深い方へと並べてみると、次のようになることに気が付きました。

(1)形式   (2)対応  (3)構造  (4)機能  (5)原理

以下に、これらの各レベルの類似について、少し詳しくみてみましょう。




2018年6月14日木曜日

一掬いの水




一口分の水にすべて印をつける。それを海に流し十分かき混ぜて一口分を
手に掬い取る。元の水の分子は何個ぐらい含まれているか。(思考実験)

 むかし、これに似たことをどこかで読んだ覚えがあり、ふと計算したくなりました。そして、その結果に新鮮な驚きを感じているところです。

分子の数は非常に多い。水の場合、H2Oの分子量は1×21618
いま一口の量を18グラムとしましょう。18グラムの水の分子の数は6×1023(アボガドロ数)です。この18グラムの水は、全地球の水の量のどれくらいの比になるかを概算してみます。

地球の半径をr(6370km)とします。すると、地球の面積は 4πr2です。
いま大雑把に地球の表面はすべて海として、その深さを1000mとしましよう。

すると、水の量Vは、  V=4πr2×1kiro

これをcmを単位として表すと、

  V=4π(6370×1052×105 ≈ 5×1023 cm3

一方、一口の水の重さを18グラムとすると、その分子数はアボガドロ数6×1023です。すなわち、一口に含まれていた全部の分子に赤色を付けたとすると、 

   海の容量5×1023cm36×1023個の赤色分子がバラまかれている

ことになります。手に掬った海水の1ccに含まれる赤色分子は、
   6×1023/5×10231.2

すなわち1です。

いま1ccに含まれる赤色粒子の平均を1.2個とすれば、118cc中の平均は概算20個です。この1口の水の中に印をつけた粒子が一つもないという確率を計算すると、10億分の2でした。
こう考えると、その昔インドでお釈迦様がお飲みになった水の1粒を、今私がコップで飲んでいる可能性はほとんど確実です。
悠久なご縁を感じているところです。




2018年6月13日水曜日

流れ星への願い(続き)


全能の神からみれば、人間の知恵もニワトリ程度にしか映らないでしょう。我々が血眼になって努力する有り様は、ちょうどニワトリが金網に体当たりを繰り返すのに似ているかもしれません。解決への圧力が高ければ高いほど、目先的な手段以外には考えが及ばなくなる点は、問題解決に携わる者の心に留めるべきことです。

   第3の特徴は、閃きの多い人はよく感動することです。よく驚く人、何を見ても素直に心を動かす人、何度見た夕日にもその本来の美しさを感じる人などは、斬新なアイデアを出す人に多く見られます。感動とは、意識上に構成された心の固い枠組みが揺り動かされることですが、このとき従来とは異なった考えができるのです。

 以上まとめれば、よい閃きに至る条件として、次のことがいえましょう。

意識上での問題意識の強い刷り込み
リラックスした状態の無意識下で行なう案の試行錯誤的結合
何に対しても素直に心を動かしやすい性質

  さて、言い伝えとして、‘流星に願いをかければ叶えられる’というのがあります。流星がみえるのは一瞬です。その短い間にもすぐさま自分の願いが述べられるのは、その願いがよほど強く、かつ、絶え間なく心の中で保持されたものであることです。すなわち、その人の心は、外で起こるあらゆる事を自分の願望と結び付けて利用する準備が整っているということです。そのような願いは、かなえられる確率が高いのです。

流れ星の言い伝えは、本当なのです。

想いを叶えるには、強く願わなければいけませんね。
         



        


2018年6月7日木曜日

流れ星への願い


流れ星への願い                  

 皆さんは“流れ星への願いはかなう”などという乙女チックなことが今更信じられるかと先ずは頭によぎるでしょう。ところが、これは本当なのです。これを説明しましょう。
この発見は、かってわたしが閃きのメカニズムについてぼんやりと考えていたとき、頭に浮かんだことでした。

閃きに関し、難問に対する回答をパッと見出した例の一番古典的なものは、アルキメデスの次のような王冠の話しでしょう。

「その昔、アルキメデスの保護者であるシラクサの君主ヒエロは、他国からの貢ぎ物の王冠が純金ではないのではと疑っていた。そして、この真偽の調査をアルキメデスに命じた。王冠を溶かして正方形にすれば比重が分かり、金かどうかの真偽がはっきりする。しかし、贈り物を溶かすわけにはいかない。
アルキメデスは、ある日風呂に入っているとき、体をいれる度に水があふれ出るいつも見かける風景を何気なくみていた。そして、突然、あふれる水は自分の体積に等しいことに気がついた。すなわち、王冠を壊すことなくその体積を測る方法に気付いたということだ。このとき、喜びのあまり裸のまま‘ユーリカ(発見した)’と叫びながら表に飛び出したことは有名です。」

多くの閃きの例を調べてそれが起きたときの状況を整理すると、いくつかの特徴が浮び上がってきます。

第1に、強烈な問題意識の存在です。‘これは何なのだ’と常に考え続けている状態です。問題の存在すら分からない混沌とした状況であっても、解決すべきものがあるに違いないとする一種の信念ですね。

第2には、リラックスした状態です。これは第1に掲げたものと矛盾するようにみえますが、意識上で、当面の問題に関係しない楽しいことに従事しているリラックス状態が必要なのです。緊張が解けた状況の下で、意識に強く刷り込まれた問題意識が無意識領域に持ち込まれ、そこで解の候補が試行錯誤的に試されるのではなでしょうか。そして、従来の枠組みを超えた奇想天外なことが問題の解として組み合わされ、それがたまたま良いアイデアであったとき、閃いたというのです。

無意識領域における試行錯誤によるアイデア作成の場面では、無意識は意識に渡すべきものをどのように知るのか、これも難しい問題です。ポアンカレは、これを美意識の働きといっています。この美意識が、変転極まりない無意識の世界を調べまわし、自らの美の基準に適ったもののみを意識の世界に送っていると主張しています。

よい閃きは、何がなんでも解答を得ねばならないというような圧力の下では、かえって得られません。これを示す、次のようなニワトリの実験があります。

「飢えたニワトリと餌の間に金網を置く。ニワトリは餌が金網のそばであればあるほど、また、飢えの度合いが大であればあるほど、金網に直接ぶつかって失敗を繰り返し、金網を迂回することは思い付かない。」

2018年6月6日水曜日

真実はいと小さきところに宿る


気付き : 真実はいと小さきところに宿る

少し前から思うところありまして、

  心をほぐし
  耳を澄まし
  目を凝らし

ものごとを眺める心境になりました。
すると、以前は見慣れて気にも留めなかったことの中にも、大変不思議なことが満ち満ちていることに気が付きました。

これを心の赴くままに書き留めたのが既にかなりの量に達し、みなさまにお読みいただくのも一興かと思い、便利なITを通して流そうと思い至った次第です。
話題は広い範囲にわたりまして、

  思い込んでいて気が付かなかったこと
  直観では間違ってしまうこと
  耳を澄まし目を凝らせば見えてくること

などです。

私はコンピューターに関連しており、機械で創造的な絵画を描かすことも研究しかなり成果がありますので、これもお目にかけたいと思います。この絵画のシリーズは、理の紡ぎだす美というタイトルとします。