物事の類似性について(その3)
(2) 対応レベルの類似
“ユリのようなお嬢さん”というとき、これは何を意味しているのでしょうか?
もちろん、その娘さんの容姿あるいはその人がもつ清楚な雰囲気を、我々がユリの花を見るときに心に浮かび上がってくる感情に対応させて、その娘さんのありさまを説明しているのです。ここで暗黙の内に前提とされていることは、“ユリ”を見ればみんながある種の同じような事を理解するであろうということです。
‘対応レベルの類似’とは、2つの事柄の内容が喩えや比喩で結びつく場合を指します。喩えや比喩は、説明したいことの特徴を、既にみんなが知っている他のことに対応・関連させて伝える方法です。
例を挙げてみましょう。
氷のような冷たい心
炎のような情熱
ブタのような食欲
砂が水を吸うように知識を吸収する
海のように広い心
この例のように、~のようなものと対応させる比喩の仕方を、直喩といいます。一方、次のように喩えるのを、隠喩といいます。
人生はマラソンである
彼は鬼だ
さて、2つの事柄AとBに何かの類似性を見つけたとしましょう。事柄Aの内容についてはよく知られているものであるとします。いま、Aに属することa1とBに属することb1とを対応付けたとします。b1がb2に変わったときどのような状況であるかを推測したいとき、我々は状況b2に対応すると思われるAでの対応点a2を推定します。Aでのことは良く分かるので、我々はa1からa2への変化は理解できます。このAでの理解を基に、Bにおけるb1からb2への変化を推察するのです。これを、類推といいます。
類推においては、知りたいb2での状況を、何らかの意味で次のようにa2対応させて割り出しています。
a1:b1=a2:b2
まったく新しいことの発見のように見えても、その底には、実は古い事柄からヒントを得ている場合がほとんどだという説があります。
たとえばケプラーは、火星の観測値を説明するのに従来の方法ではどうしても無視できない違いが出て、これにより伝統的な天体の運行の考え方である‘一様な円運動’という考えを捨てました。そして、太陽を宇宙の中心に置き、その周りを惑星は楕円運動をするという考えに至ったが、その基には次のようなキリスト教の教義からの類推があったといわれています。
太陽…父なる神(God and Father) 星…神子(Son) 空間…精霊(Holy Ghost)
ケプラーは、惑星が太陽の回りを回転するには絶えず力が加えられているはずと考えていました。そして、その力は太陽の自転により与えられ、それは磁石が針を引きずるようなものと思っていました。それを伝えるのは、空間を通しての精霊の働きによると理解していた模様です。この場合、よく分かっている事柄Aがキリスト教の教義であり、類推の対象Bが太陽系のメカニズムです。
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