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2018年11月5日月曜日


気付きへの目の付け所 シリーズ(3


 見たいことに沿ってみえる
人は同じ出来事を前にしても、それを自分の見たいことに沿ってみてしまう。次の例を使って、これを示しましょう。

ある100人の集団があり、それは多数派のAグループ90人と少数派のBグループ10人より成っています。双方とも、相手のグループに対しある偏見を持っています。

多数派ABに対する偏見
「Bは油断のできない輩で、その50%が盗みもやりかねない連中である。自分たちについては大体正直者の集まりで、その3%程度が不正直である」
少数派BAに対する偏見
「Aは大変嵩にかかったいやな連中で、その30%くらいはずるいやつである。自分たちは、中にはいけない者も10%程度いるが、大体努力家である」

さて、この100人が連れ立って旅行に行くことになったとしましょう。そして旅先で誰かが不用意に、“あれ、俺の財布が!”といったとします。本当は自分が忘れたのかもしれません。あるいは、探せばあるのかもしれません。しかしながら、それを聞いたとたんに、Aグループは、“だから来るんじゃなかった。どうせBの仕業だ”と思います。同様に、Bグループはこれとはまったく反対の結論、すなわち、Aグループの犯行を確信します。その結果、今まで自分たちが心に描いていた‘相手に対する不信感’を互いに強めるのです。各々のグループがそのような確信にいたる道筋を説明してみましょう。

Aグループの見解
「悪い連中の数は、Bに属する10人の内の50%である5人と、自分たちのAに属する90人の内の3%である2.7人である。すなわち、合計7.7人である。したがって、犯人がBグループである割合は、5/7.7である。これは相当高い率であり、日頃Bを疑っている率(先験確率)の50%より更に高い値である。Bが犯人に違いない。」
Bグループの見解
「悪い連中の数は、Aに属する90人の30%である27人と、自分たちのBに属する10人の10%である1人である。すなわち、合計28人である。したがって、犯人がAグループの者である割合は、27/28である。この値はほとんど確信に近いものである」

このように、双方のグループとも同一の出来事を自分のみたい方向に沿って解釈し、今までの見方を更に強めるのである。

             

ブルーナーとポストマンのカードを使った心理実験があります。それは、トランプのカードをちょっと見せて、それが何のカードであったかを当てさせるものです。そのトランプは仕掛けがしてあり、大部分の正しいカードのなかに、少しだけ変わったものを混ぜておきます。たとえば、スペードの赤の3とかダイヤの黒の5とかです。
実験の結果観察されたことは、普通のカードはもちろん正しく言い当てられるが、変則的なカードに対してもその変則性に気がつかず、正しいカードとみなして答えることでした。ダイヤの黒の5は、ダイヤの5という返事が返ってきました。この実験は、起きた事柄を、すでに在る自分の心の枠組みに沿って我々が見る傾向があることを示すものです。
 アメリカにおける大学対抗アメリカンフットボールの観戦者の反応に対する調査でも、同じことを示しています。各大学の応援者は、同一のプレーから互いに相手側に実際以上に多くのルール違反を見出し、反対に応援側には実際以下の違反数しか見出していないのです。

 我々は、物事のありのままを見ていると思わない方がよいのです。あのイソップ物語にある“裸の王様”のようなものかもしれません。
   



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